コクリ!プロジェクトやコ・クリエーションに関係する深い話をさまざまな方にインタビューしていくシリーズの第13回です。今回は、テクノロジーを使って人のウェルビーイングを高めるにはどうするか?という研究や、人工生命をソフトウェアを使って作り出す研究をしている起業家・情報学研究者のドミニク・チェンさんに、ポジティブ・コンピューティングやコミュニティについて、縦横無尽にお話を伺いました。
※研究チーム参加者:賢州さん(嘉村賢州さん/NPO法人 場とつながりラボ home’s vi 代表理事)、洋二郎さん(橋本洋二郎さん/株式会社ToBeings 代表取締役社長)、直樹さん(太田直樹さん/前総務大臣補佐官)、愛ちゃん(三田愛/じゃらんリサーチセンター研究員)
「ハイコンテキストな雑談をする研究会」が楽しくてたまらない
直樹 最初にごく簡単に自己紹介をすると、いま私たちが進めている「コクリ!2.0」は、対話や身体ワークなどのプログラムを通じて、参加者一人ひとりの「自己変容」を起こし、その自己変容をドライブにして、集団的なアウトプットとして「GI」を生み出そうとしているコミュニティ型の取り組みです。
ドミニク コクリ!キャンプ2017の参加者リストを見ると、15人くらいは知り合いの方が参加していますね。自己変容を重視している点も気になります。ところで、皆さんのコミュニティとはちょっと違うと思いますが、実はいま僕も、ある研究会コミュニティに参加しています。その辺りからお話しを始めましょうか。
そのコミュニティは「情報環世界研究会」と言います。僕を含めた5人のボードメンバーが、それぞれ2~3人ずつ、「いま自分が最も話したい人」を集めてスタートした、20名弱のクローズドなコミュニティです。「環世界」というのは、生物学者ユクスキュルが唱えたもので、「生物たちが独自の知覚と行動でつくりだす世界」のことです。知覚器官や作用器官が異なりますから、動物によって環世界はまったく異なります。たとえばダニにとっては、「哺乳類が発する匂いとその体温と皮膚の接触刺激という三つだけ」が意味を持ちますから、例えば、ダニには絵や本などはまったく意味がありません(日高敏隆『動物と人間の世界認識』ちくま学芸文庫)。このように動物の身体ごとに、目の前に立ち現れる世界は違うのです。この環世界という概念と情報技術をどうつなげるか、というのが情報環世界研究会のテーマで、2017年から月2回くらいのペースで開催しています。
こんな風に説明すると、難しいことをしているように見えるかもしれませんが、全然そんなことはなくて、ひたすら絵を描いたり、「環世界カラオケ」「環世界占い」といった新たな遊びを開発したりしています(笑)。特に面白いのは、このコミュニティのなかだと、「極めてハイコンテキストな雑談ができる」ことです。多分、世の中の99%の人には意味不明なことを言っても、このメンバーなら受け止めてくれるんです。みんな、それぞれの専門分野や関心から、言いたい放題言っているのですが、それでなぜかコミュニケーションが取れています。それが心地よい。この場でのウェルビーイングはとても高いですね。みな満足度が高かったので、2018年も続けることが決まっています。ただ、これは、コクリ!キャンプのように100人という単位では難しくて、15~20人くらいだから実現できるコミュニティだと思います。
こうした「心地よい雑談の場」が、実はいろんな組織にとって参考になるんじゃないかと思っています。普段、企業組織などが行っているのは目的志向の「ブレスト」ですけど、実は無目的な「雑談」のほうが、何かを生み出す可能性を秘めているんじゃないでしょうか。振り返ると、自分の会社でも、メンバー間で気持ちの良い雑談ができているときが一番成長していました。
継続を考えるようになるとコミュニティは途端に面白くなくなる
賢州 おっしゃっていること、よくわかります。実は、僕が以前、未踏事業(旧・未踏ソフトウェア創造事業)で出したテーマが、まさに「雑談からイノベーションへ」で、それをきっかけに2005年に立ち上げたのが、「京都サーチ縁人」でした。これは、誰かに一度紹介してもらえた人なら、その後は24時間365日、いつでもピンポン不要で使える町家です。そうしたら、最終的には5年で約1000人が使えるまでになりました。
この場が良かったのは、たとえ初対面の相手でも、そこにいるのは誰かが信頼する人ですから、それなりに腹を割ってコミュニケーションできたということです。この町家に来れば、ちょっとした思いつきをその場で誰かに話すことができたんです。そうした場がないとき、僕たちが思いつきを誰かに話そうと思ったら、アポイントを取らなくてはなりません。アポイントを取るくらいですから、ちゃんとしたアイデアにしなくてはなりませんが、それは面倒です。そうして、ちゃんとしたアイデアになることなく、誰にも話さずに失われてしまう思いつきが、実はかなりあるんじゃないかと思うんです。僕はそれが嫌で、小さな思いつきから始められるSNSが創れないかと思って、京都サーチ縁人を始めました。
ドミニク 軽く思いついたことを、その場で思いきって言えることが大事ですよね。情報環世界研究会には、そういうことが気軽に言える雰囲気があります。
賢州 この前、ある場で「ありがちなアイデアを出してみましょう」と言ったら、本当にたくさんのアイデアが出てきて、驚いたことがありました。逆に、「面白いアイデアを出しましょう」と提案しても、なかなか出てこないんですね。面白いアイデアと言った途端に、否定されたくないという気持ちが働くからです。
ドミニク 情報環世界研究会もそうですけど、僕がイメージする雰囲気の良い場って、「タモリ倶楽部」みたいな感じなんです。完全に肩から力を抜いて、大人が楽しくバカバカしく未来について語り合い、そこで得たヒントをそれぞれが持ち帰って、自分の現場で試し、また半月後に再会するというのが、情報環世界研究会のいいところだなと思っています。
賢州 よくわかります。コミュニティは、継続に力を注ごうとした途端に面白くなくなるケースが多いですよね。楽しく軽く続けていくというのが大事なのだと思います。ただ、情報環世界研究会とコクリ!が違うのは、「リズム」ですね。コクリ!は現状、月2回ペースでは開催できていないんです。そのペースで開催できれば、前回のことを記憶に残したまま次回に臨めますが、コクリ!ではそれが難しい。前回の記憶や温度感をどう次回に保存するかが、僕らの課題の1つです。そこでいま、僕たちは、場の記憶と温度感を残す「場ログ」を開発しようと試行錯誤している最中です。
ドミニク 僕たちも、場ログに近いものを作ってます。当日のグラレコとテキストを掲載した6ページほどの小冊子です。コンパクトな内容ですから、ちょっとした時間にチラ見できますし、誰かに軽く自慢もできるようになっています。2カ月に1冊くらい、こうしたものをつくるのは大事だと思います。コミュニティは糠床と同じで、手入れをしないと変質してしまいますから。
荒らしが愛されキャラに変わっていったWebコミュニティ「リグレト」
ドミニク アイデアの話に戻りますけど、何かアイデアを生み出すときは、超個人的なシェアから始めるのがいいと思っています。例えば、斎藤孝さんが紹介している「偏愛マップ」にはそのような効果があります。僕は何度も使っていますが、偏愛マップを自己紹介に使うと、本当に初対面同士でも5分でディープな趣味の話を始められたりします。ただ、僕はこれだけでは少し物足りないとも感じていて、偏愛マップの後に「苦痛マップ(ペインマップ)」というものをシェアするということをやります。苦痛と言っても、本当に大変な悩みではなくて、満員電車が辛いとか、睡眠時間が短いのがシンドイといったレベルの、日々の苦痛です。この苦痛マップを互いに上手にシェアできると、偏愛よりも深いレベルでの共感が生まれるんです。それだけでなく、その共感がプロダクティブなアイデアにつながることも多いと感じています。ちなみに、苦痛マップのアイデアの源は、セコイア・キャピタルという世界的に有名なベンチャーキャピタルの事業計画書フォーマットで、そこには「ペイン」と「ペインキラー」という項目があるんです。彼らは、事業計画書には世界に存在するペインを書くことが大事だと言っているんですね。そこから思いつきました。
洋二郎 その感覚はよくわかります。僕がよく行っている身体ワークのなかに、参加者一人ひとりにいま抱えている悩みを身体で表現してもらうプログラムがあるのですが、仕事上の悩み、家族に関する悩みなど、一人ひとりの悩みは全然違うにもかかわらず、身体で表現するとけっこう似ていることが多いんです。なかには、自分が身体表現をしているのか、相手が身体表現をしているのかがわからなくなるくらい、似ていることもあります。僕たちの悩みやペインは、根っこではつながっているんだと思います。
ドミニク ペインとはちょっと違いますが、以前、弱さから始まるWeb上の匿名対話コミュニティを運営していたことがあります。「リグレト」という名前で、あるユーザーが「ヘコみ」を投稿すると、他のユーザーがそれに対して「なぐさめ」を投稿します。そうすると、ヘコみ主が成仏し、ありがとうを送るという仕組みになっていました。コアユーザーは、実は励ます側の皆さんで、なかには1日100人を励ましていたユーザーもいました。このコミュニティで興味深かったのは、最初は「荒らし」だったあるユーザーが、コアユーザーの皆さんに「どうしたの?」「大丈夫?」などと日々声を掛けられているうちに、次第に更生していったことです。彼は最終的には、ホッコリするアスキーアートをよく投稿してくれる「愛されキャラ」になりました。リグレトでは、ユーザーが場を発酵させ、良い状態にしてくれていたんです。
洋二郎 発酵といえば、『謎床』(晶文社)にあった乳酸菌のエピソードが面白いですよね。
ドミニク そうですね。これは乳酸菌を数十年近くに渡って調べておられる岡田早苗先生の研究でわかったことですが、ある種の乳酸菌は、過去のある時点で好気性代謝をしていた可能性があるのだけれど、最終的にそれを捨てて、嫌気性代謝である発酵のみでエネルギーを得るようにしたらしいんです。発酵よりも呼吸代謝のほうが進化としては新しいのですが、乳酸菌はエネルギー消費量がずっと少なくて済む発酵を選んだわけです。このような進化の事例は、「より新しいものが良い」という近代西洋型の考え方に対してオルタナティブを呈しているようにも思えてきます。
「河童の投票権」をネット上に実現できないだろうか
直樹 ペインの話で気になることがあって、それは東日本大震災の後、心霊現象が増えていることです。これは東北の方々の我慢強さが原因だと言われています。彼らは怒り、悲しみ、不満などを自分の内に溜め込んでいて、それが心霊になってでてきているというのです。痛みを表現できないと、そうした形で表出することもあるようです。
ドミニク 僕はいま、ペインに注目した情報技術のアイデアを温めていますが、それも今のお話に関係しています。それを「国民総苦痛量(Gross National Pain)」と名付けたのですが、国民のなかで誰が・どれだけ・何を理由にペインを感じているか、ということをペインマップのように可視化して共有するというものです。このアイデアの発端は、昨年参加していた経産省の有識者会議で考えたものですが、民俗学者の畑中章宏さんが書かれた『21世紀の民俗学』(角川書店)の中で、思想的に通底するアイデアを見つけました。畑中さんによれば、柳田国男は、「死者や精霊も社会の一部だと訴えて」いて、死者の投票権や政治参加を考えていたそうです。それに倣って、畑中さんは死者を含んだ民主主義を実現するために、「河童の選挙権」を呼び掛けているのです。なぜ河童かといえば、河童は「共同体の外側から流れてきた多くの死者に対する『うしろめたさ』の感情や、死者たち自身の悔恨」が形になったものだからです。つまり河童とは、死者や後悔ややるせなさの究極的な受け入れの表象であり、「災害による大量死を背負っている」のです。私は、この話には単に「面白い」だけでは終わらせたくない何かがあると感じました。そこでいま、死者の意思を取り込んだ新たな合意形成システムをネット上に創ることができないかと考えているのですが、そのためにまず死生観を巡る議論の学習をしているところです。
ペインということで言えば、Spire(呼吸のログを計測できるデバイスで、呼吸のリズムやペースから落ち着いているのか、緊張しているのか、集中しているのかといった心理状態がわかる)を使って、政治や社会を動かすことができないかといったことも考えています。
直樹 実は最近、私はSpireをつけています。Spireを使うことで、自分がいかに日中リラックスできていないか、いかに座っている時間が長いかを思い知りました。
ドミニク おっしゃる通り、Spireを使うと、自分のことがよくわかりますよね。ただ、自分だけでなく、みんなのこともよくわかるんです。たとえば、2016年のアメリカの大統領選挙時には、トランプの当選速報が流れた夜中の11時に、アメリカ全土の緊張度が急上昇していたことがわかりました。それと同様に、たとえば「日本の20代後半には、ストレスレベルの高い人がこれだけ多くいる」といったことがわかれば、思わず見入ってしまうと思うのです。Spireのようなデバイスから集合知化した数値データを通して、実際の人々のペインをストーリーとして感じることができたら、政治や社会を動かす新しい力になるかもしれないと考えています。仮に、自分の税金を、さまざまなペインを持つ人のために使ってもらうといった選択ができるようになったら、税金の使い道、つまり政治が劇的に変わる可能性だってあるでしょう。
「皆が反差別的な発言をするようになるサッカースタジアム」を創れないだろうか
直樹 話は変わるのですが、私はいま、都市化にブレーキがかからないことが一番の問題だと考えています。「都市は人類最高の発明である」と言われていますが、いまも都市は無限にスケールアップを進めており、より効率を高め、情報交換のスピードを上げ続けています。これにどうやってブレーキをかけたらよいと思いますか? 人々の行動を変えるようなテクノロジーはあると思いますか?
ドミニク それこそスタンフォードでは「行動変容テクノロジー」という分野が研究されてきましたが、それは広告業界やIT業界でユーザーを制御するように使われています。そうした技術を逆手にとって、自分たちを自発的に変容させるという考え方ができるのではないでしょうか。スピードが上がり続けてしまうのも人間の営みであれば、それにブレーキをかけたくなるのも人間的な思いですね。例えば、リチャード・セイラ―やキャス・サンスティーンなどの行動経済学を柔軟に捉えれば、大きくなる必要のない都市をつくることもできるのではないでしょうか。実際、パリのような石造りの都市は簡単にスクラップ・アンド・ビルドができませんから、東京などと比べればずっと古いものが蓄積しやすく、時間の流れも緩やかに感じられます。都市はそれぞれ違う来歴と特性を持つわけですが、そのような長期的に特性を醸成するという長期的視野を基にした設計も、今後は十分に可能ではないかと思います。
たとえば、ヘイトスピーチや差別的発言は人間が生み出しているものですが、それは人間の身体という根本的なアーキテクチャーがベースになって発せられています。その一方で、そうした発言を嫌うのも人間らしいことです。その両者を反知性主義・知性主義と対比させるのではなく、「同根」だと捉えない限り、僕たちは何も解決できないのではないでしょうか。ヘイトスピーチを生み出すのも、それを嫌だと思うのも、同じ人間だと考える必要があるんじゃないかと思うのです。そして、行動経済学の知恵を使えば、たとえば「皆が反差別的な行動をするようになるサッカースタジアム」も創れるんじゃないかと思います。もちろんそれは簡単ではないでしょうが、僕は、行動経済学をこうしてポジティブに使うことができるんじゃないかと考えています。
行動経済学でことに興味深いのは、セイラ―とサンスティーンが『実践行動経済学』(日経BP社)の中で、「リバタリアン・パターナリズム」を提唱していることです。リバタリアニズムとは「完全自由主義、自由至上主義、自由意志主義」のことで、パターナリズムとは「家族主義、父権主義」を指します。この2つは、一般的には矛盾するものと考えられますが、彼らはそれを結合しようとしているのですね。まず、彼らの戦略のリバタリアン的な側面とは、「人は一般に自分がしたいと思うことをして、望ましくない取り決めを拒否したいのなら、オプト・アウト(拒絶の選択)する自由を与えられるべきである」というものです。一方、パターナリズム的な側面とは、「人々がより長生きし、より健康で、より良い暮らしを送れるようにするために、選択アーキテクトが人々の行動に影響を与えようとするのは当然である」という考え方です。つまり、セイラ―とサンスティーンは、みんなが常に選択の自由を保ちながら、かつ健康になり、長生きし、良い暮らしを送るために、行動経済学の知恵を使えないかと考えているわけです。これを都市に応用して、みんなの選択の自由を確保しながら、これ以上大きくならない都市を創っていくこともできるのではないでしょうか。ちなみに最近は、SNSもそうしたことを考えるようになってきました。Facebookはユーザーのウェルビーイングを大切にするようになってきましたし、TwitterもTwitterが人々に及ぼす害について自分たちで調べています。
そもそも僕たちが生きていくには、何らかの枠組みが必要なんだと思います。僕なんか、放っておいたら、家でマンガを読み、ゲームをするばかりのどうしようもない人間ですよ(笑)。社会的な生活をきちんと送るために、起業家や大学教授という枠組みを利用しているとも言えるわけですが、同時にそうした枠組み自体にも変容を与えている。「そうなりたい」という想いさえあれば、行動経済学などのさまざまな枠組みを使って、自分のこともハッキングできるんですね。その延長で、都市のスケールを変えていくこともできるのではないかと思います。
「狐憑きは異常」と考えるのが現代社会の隘路の1つでは
愛 ペインの話に戻りたいんですが、私は、動植物や物質のペインも聞こえたら嬉しいなと思います。フィンドフォーンという老舗のエコビレッジがあるんですが、そこの人々は、トラックや農機具に名前をつけていて、それらの声を聞いていますし、同じように動植物の声も聞いています。彼らはそうやって天と地とつながっていて、すべてが愛に包まれているんです。
ドミニク いいですね。僕自身は精霊の声もものの声も聞こえないのですが、聞こえる人には本当に聞こえているんだと思っていますし、それが変なことだとはまったく思いません。否定するのはおかしいと思います。それどころか、僕は発酵食が趣味なので、以前から発酵を起こす菌の「声」を聞いてみたいと思っているくらいです。もっと言えば、自分の内から発せられる精霊の声を聞くのと、スマホを通じて自分の外部から情報を得るのは、単に身体的なコミュニケーションチャネルを使っているかどうかだけの違いではないかとすら思います。むしろ、これからは精霊の声を聞くようにスマホの声を聞くといったアイデアを展開していかないと、僕らは袋小路に入ってしまうのではないでしょうか。その意味で、精霊の声や物質の声などを「オカルト」にしてしまったのは、西洋近代文化の赤字だと思いますね。
アメリカの心理学者、ジュリアン・ジェインズは『神々の沈黙』(紀伊国屋書店)のなかで、「遠い昔、人間の心は、命令を下す『神』と呼ばれる部分と、それに従う『人間』と呼ばれる部分に二分されていた」という「二分心仮説」を提示しています。彼の仮説によると、大昔は、誰もが普通に神の声が聞こえており、それに従って生きていたのではないかというのです。その状態に戻るという意味ではないですが、仮にそれが本当だとすれば、狐憑きやシャーマンは異常だと考えること自体が、現代社会の隘路の1つではないでしょうか。
洋二郎 身体ワークの技術を使って、預言者やイタコになるためのフィールドをセットすれば、僕たちは誰でも瞬間的には預言者やイタコのような存在になれます。その意味で、ドミニクさんのおっしゃる通り、僕たちには神の声を聞く力があるのかもしれません。
賢州 そういえば、高田馬場に「預言CAFE」がありますよね。
ドミニク それは知りませんでした(笑)。
賢州 クリスチャンだけでなくすべての人に、神からの計画と、愛、助け、励まし、なぐさめのメッセージを受け取っていただくことをビジョンとしているカフェで、コーヒーを一杯頼めば誰でも預言を受けられるんです。
ドミニク 面白い。そうした預言や占いといったものには癒し効果がありますね。最初にお話しした情報環世界研究会では、「環世界カラオケ」という独自の遊びをしたことがあります。これは、参加者一人ひとりがその場にいる他の誰かになりきって、即興でその人の未来の抱負を宣言するというものですが、面白いことに、演じられた側がその抱負を「占い」のように受け取って、妙に納得し、ある種のヒーリング効果を得ていました。
それから、僕のゼミの学生と一緒につくった作品に、「心臓祭器」というものがあります。亡くなった方の心音をデータ化し、アーカイブとして遺すだけでなく、それを自身の心音と重ね合わせることでインタラクティブな新しい弔いの形を表現したものです。そもそも日本の祭祀は、生者と死者が同じ空間に共在する前提で行われます。心臓祭器が提示するのは、極めて日本的な死者とのコミュニケーション作法なのです。実は、この作品は当初、宗教者の皆さんに怒られるかもとドキドキしていたのですが、結果的には、神道の方からも仏教の方からもキリスト教の方からも肯定的に評価していただきました。このようにして、死者や精霊などと触れ合うテクノロジーを開発していくことが、これからはもっと必要なのではないかと思います。
インタビューを終えて
愛 とにかく、とことん「素敵な人」だと心から感激しました! フィルターゼロで、オープンに話を聴き、多様な観点をもちながら、その場から生まれるダイアログをジャズセッションのように楽しむ。まさに未知を楽しみ、コ・クリエーションを地でいっているような人。いまだ科学で証明されてない世界もとても大切にされながら、テクノロジーとの融合で、人の「善」を自然と引き出しながら、新しい世界を創っていく姿(しかも子ども心をもって楽しそうに!)に、こういう人が次の世界を創ってくんだなぁと感じました。今後のコクリ!にも来てくださるということで、ますます楽しみです!
直樹 ヘイトスピーチをする人と嫌う人は同根という世界観がとても印象に残っています。局所的&対処療法的なやり方はもしかすると分断を深めてしまうのかもしれず、システム全体を考える必要がある。その時の実践的な方法として、ドミニクさんが進めている社会実験にとても興味があります。コクリ!でやったらどうなるでしょうか。
ドミニク・チェンさん
1981年生まれ。フランス国籍。博士(学際情報学)。2017年4月より早稲田大学文学学術院・表象メディア論系・准教授。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)デザイン/メディアアート学科卒業、東京大学大学院学際情報学府修士課程・博士課程終了。メディアアートセンターNTT InterCommunication Center[ICC]研究員/キュレーターを経て、NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現コモンスフィア)を立ち上げ、理事としてオープンライセンスの普及活動を行う。2008年に株式会社ディヴィデュアルを共同創業、オンラインコミュニティやゲームソフト開発を行う。2008年IPA未踏IT人材育成プログラム・スーパークリエイター認定。NHK NEWSWEB第四期ネットナビゲーター(2015年4月~2016年3月)として一年間、情報技術の専門家として深夜ニュース番組のホストを務める。2016年度グッドデザイン賞・審査員、「技術と情報」フォーカスイシューディレクター、2017年度同賞・審査員、「社会基盤の進化」フォーカスイシューディレクターを務める。
主な著書に、松岡正剛氏との共著『謎床:思考が発酵する編集術』(晶文社)、『電脳のレリギオ』(NTT出版)、『インターネットを生命化する プロクロニズムの思想と実践』(青土社)、『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』(フィルムアート社)等。訳書に『ウェルビーイングの設計論:人がよりよく生きるための情報技術』(BNN新社)『シンギュラリティ:人工知能から超知能まで』、『みんなのビッグデータ:リアリティマイニングから見える世界』(共にNTT出版)。